2015年12月29日火曜日

ちょっとドライブ(東日本大震災から「まだ5年」か「もう5年」か)

午前中は天気が良かったので、家族が「どこか連れてけ」というので、「みんなで温泉?」と言ったら却下されたので、近場ドライブに。
#オデッセイでみんなで温泉というのも正しい選択肢だと思うのだけれども。

実は、震災以来、あまり自宅より南側に行くことがなくなっており、気になっていた南側の海沿いの道を見に行くことに。
ちなにみに、その海沿いの道というのは以前にこちらで書いた県道のことで。
いや、久しぶり読み直しましたが、余震が来て、もう一度津波が来てたら、ワタクシ死んでましたね。苦笑
バカなことをしたものですが、まあ、災害時の心境などというのはそんなものでしょう。

そんで、その県道ですが、とっくに修復されていると思っていました。
隣の相馬まで行くには、この海沿いの県道と国道6号線を使う以外に大きな道がないので、工事車両が通るのにも困るだろうしなぁ、と。
ただ、途中、かなり大きく崩落した箇所があると聞いてはいたので、実際のところどうなってるのか見に行こう、となったわけです。
家族も「天気がいいから海がみたいなぁ!」とか言ってましたし。
んで。
通行止めでした。

この辺は、亘理郡山元町坂元近辺ですかね。磯浜漁港を過ぎたくらいのところです。
こんな感じの場所。
道の反対側を見ると、5年前の津波で折れたであろう木が放置されておりました。
根っこから抜けてますね。わざわざ倒したとも思えないので津波の結果ではないかと。




クルマでは、これより先に行けなかったので、歩いてその先に。
年末の休みに入ったのか、工事車両は見当たりませんでした。堤防工事の最中ですね。
おそらく、堤防沿いに新しい道を作るのでしょう。
実は、この後、一度6号線まで出て、相馬港まで行き、反対側から同じ道を辿ったんです。
どうなってるのかな、とね。
実際、反対側でも同じように堤防の工事中で「新しい道を作っています」という看板が出ていました。

まあ、わざわざ写真を撮るまでもなかったので、撮影こそしてきませんでしたが、県道沿い、基本的に何もありませんでしたね。
震災前は「町」があった場所は何もなくなっていました。
単なる「荒野」になってます。さて、山元町は、この「跡地」をどうするんでしょうか。
#まあ、町の構想は知ってますがー
一方で、相馬方面から遡ってきた方は、意外に被害が少なかったのか、以前の面影をだいぶ残していましたが、おそらく、今堤防工事している辺りは全滅した部分なのではないかと。
思いっきり海に面していましたし。
あの辺も何もなくなったんだろうなぁ。

道を作っている最中なので、当然なのかも知れませんが、県道そのものの路面もだいぶうねっていて、おそらく震災当時のまま、陥没したところだけ補修して使っているものと思われます。
以前はもっと走りやすい道だったんですが、かなりギャップを拾ったので。
#いろんなクルマで走った道なんで、まあ、カプチーノだからダメだった、ってことはないと思います。

んで。今さっき、飯食いながら見てた帰省ラッシュのニュースの中で、石巻出身の方が、仙石線全線開通して初めてのお正月ってことで取材を受けていて「復興もここまで進んでいるんだなぁ、と思いました」とコメントしているのを見て、「はて?この方の帰省先の方では復興は進んでいるのだろうか?」などと思ってしまいました。
JRの努力の甲斐あって仙石線は全線開通しました。常磐線も、前倒しで相馬〜仙台間開通の予定だそうです。
交通インフラの整備は重要ですから、JRの努力は大変なものだと思いますし、素晴らしい成果なのでしょう。

そんでも、地元のこういう地味な部分を目にすると、さて復興つーのは、どうなったら復興っていうのかね?とも思ったりするわけです。

まあ、完全に元通りってわけにはいかないでしょう。
現実としてあれだけの大津波があったのだし、なんの対策もねらないというのも政府も自治体も出来ないのでしょう。
そんでも。
「まだ堤防工事やってんのかよ」
と思うわけです。
まあ、堤防工事しかしてないわけでもないんでしょうが。

おそらく。
現地に住んでないひとには、「震災からもう5年」なんだと思います。
被災地に済んでいるひとには、「震災からまだ5年」なんだと思います。
まだ仮設住宅ぐらしのひともいますしね。
行き場がない、町営住宅の設置が遅れている、お金がない、様々な理由で。

単行本だけ買って読んでるマンガに「パンプキンシザーズ」というのがあります。
戦災復興部隊が様々なドラマを演じるマンガですが、その中の隊長(ヒロイン?)のセリフにこんなのがありました。
「戦災復興とは、人々を戦えるようにすることだ!」
貧乏だから、とか、食べ物がないから、とか、いろいろな理由はありますが、「戦争の結果、人々が戦えない」のであるならば、「戦争があったことを戦えない理由にしない」ようにすることが「戦災復興である」と言い切るわけですね。

ああ、これは災害復興も同じかなぁ、と思うわけです。
日々の暮らしはある意味戦いでもあるわけで、「震災があったから」を理由に出来ないようにすることが復興完了なのかな、と。
もちろん、戦争も災害も、完全になかったことには出来ないでしょう。
でも、「それを理由」に「逃げられる」ように出来ないようにすることが復興ということなのかな、と。
まあ、この辺、ワタクシごときが考えるような話ではありませんし、政府や自治体に長い目で見て貰って、頑張ってもらいましょう。
ただまあ。
自治体には、きちんとビジョンをもって、10年後の山元町ってのがどうなっていれば、少しは復興したって言えるのか、ちゃんと考えて欲しいなぁ、とは思います。
町の広報とかで計画見てはいますけど、これ、本当にこうなれば復興なの?と疑問に思えることも少なくないので。
#特に海沿いの津波食らった地域の利用。

Picasaに当時の写真が残ってるので、リンクを貼っておきましょうかね。

2011/03/11 東日本大震災時の地元の様子


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